길리

"ゲーム、ゲーマー、プレイ"を読んで

作成: 2024-04-06

作成: 2024-04-06 22:09

 

ゲーム、ゲーマー、プレイ

イ・サンウの「ゲーム、ゲーマー、プレイ」は独特な本だ。正統な人文書籍のように見えるが、実際にはエッセイのようなものでもあるし、ゲームを徹底的に紹介し分析している本のように見えるが、その分析の対象自体が何も考えずに楽しんでいたゲーム -「ジャーニー」や「スタークラフト」などだ。 

 
"私はいつも2つの地層の間に挟まれていた。業界と学界、会社と学校、文学とゲーム。最後の地層は、その中でも最も不安定な領域だった。文学をやる人はほとんどゲームが好きではない。ゲームをする人も純粋文学には大きな関心がない。2つの集団は永遠に出会うことのない平行線を歩み、私はその中にいた。孤独だった。しかし、その2つを繋ぐのも、挟まれた人がするべき役目だと考えた。そういう意味で、『ハイブリッド』という言葉はこの本にかなりふさわしい名前ではないだろうか。" - 後記より
 
私も長年、文学とゲームを楽しんできて、このような感情を何度も感じた。実際、ゲームジャンルの中で、アドベンチャーゲームの場合、ストーリーテリングほど重要なものはないと言われるほど、物語そのものに近接している。にもかかわらず、ゲームそのものの軽さ(?)のためか、主流の文芸界ではゲームの物語をきちんと扱ったことがないという印象を持っていた。そんな中で登場した本格的なゲーム評論集は、興味をそそるには十分だった。


特に私が面白く読んだ部分は、「ゲームと時間」編と「ゲームと空間」編だった。
ゲームの中の時間と、実際にプレイしている現実世界の時間は、かなり異なる形で流れていく。私はいつもその隔たりを面白いと感じていて、著者もその点を掘り下げ、様々な角度からゲームにおける時間の意味を執拗に追跡している。Real-time/None-RealtimeそしてPure fictional Time/Realtime-induceed fictional Timeという軸を使って、RR、NR、RP、NPとゲームを分類するほどだ。

著者の説明によると、RRはプレイヤーがプレイする時間と、ゲームの中の時間が一致するゲームのことだ。つまり、制限時間のプレッシャーを受けながら時間内に課題を達成しなければならないタイプのゲームをRRと呼ぶのだ。RPはリアルタイムゲームに純粋な架空の時間が組み合わされた構成だ。ゲームの中の時間は、プレイヤーにプレッシャーをかけることなく、目に見えない形で流れていく。これは、ほとんどの場合、物語がプレイとは無関係に存在できるアクション、シューティングゲームなどの時間方式であるということだ。
では、NR、NPは何だろうか?答えは、本を読んで確認してみるのが良いだろう。ゲームに没頭した経験のある人にとっては、少し難しく感じるかもしれないが、理解すれば間違いなく興味深い分類方法だろう。
空間も面白い問題だ。世の中にない、しかし明らかに私が今経験しているプレイグラウンド。時間と並んで、空間の仮想性は、プレイヤーに時に奇妙な感覚を与える。


すべてのゲームはスペースマシン(Space Machine)である。長いローディングが終わると、プレイヤー、つまり私たちは、いきなりどこかに到着する。空から急に落ちてきた私たちが知っているのは1つだけだ。この体がゲームの中の主人公であるということ。私の名前が分からなくても、人間ではなくモンスター、モンスター以下のようなアメーバ、あるいは生命体と呼ぶのが難しいピクセル1つに過ぎなくても構わない。私が主人公であり、主人公が操作に従って動いてくれるのであれば、いくらでも。


ただ、ゲームの中の空間については、時間と比べて分量が少なかった点が残念だった。読者の欲目かもしれないが、もう少し分析をしてほしかった。しかし、考えもしなかった時間性と空間性を指摘することで、様々な考えさせられる余地を与えてくれたことについては、多くの喜びを感じた。

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